博多塀が教えてくれた、地元の歴史。残すことの意味
石材店繁盛記 〜365ブログ〜
2025年12月23日、63日目(+89)の投稿
博多駅から歩いて10分ほど。
福岡市が管理する、雰囲気の良い日本庭園がある。
楽水園(らくすいえん)。

街中にあるのに、中に入ると、何とも落ち着く自然。
もう一つ良いのは、大好きな住吉神社に隣接しているので、緑が豊かなんよね。
その入り口にあるのが、
この博多塀(ハカタベイ)。

博多塀の存在は、大人になるまで知らんかった(お恥ずかしい)。
ただこの博多塀のおかげで、
博多の歴史を知るきっかけになったんよ。

この内容を見た時、初めて「博多町割りって何?」って思った。
こういった歴史があったことを 知らんかったんよ。
調べてみると、
戦国時代より前の博多は、細い道も多く、街が整備されていなかったそう。
そして、戦国時代に大きな戦火を負って、一度、街が壊滅的になり、
それを見た豊臣秀吉公が、復興させるべく、町を「碁盤の目」に区画整理したんやって。
博多の街に、豊臣秀吉が関わっていたなんて・・・
知らんかった。
でも面白いよね。
全く知らんやった地元の歴史。
それをこうやって、残されている遺跡的な
「博多塀」によって、知ることができた。
櫛田神社、聖福寺、崇福寺。
博多に残る、古くからの祈りの場のそばで、博多塀は今も継承されとる。
博多塀から学ぶこと、それは残すことの意味。
博多塀がなかったら、わたしは博多の歴史を知らんままやった。
でも、こうやって残してくれとるから、
「ああ、こんな歴史があったんやな」って知ることができる。
お墓も、その人や家族の歴史を残すもの。
何百年後の人が、「ああ、この時代の先祖さまは、こんな想いで生きとったんやな」
って感じてもらえるものでありたい。
そうやって残るものを作っていくのが、我々石材店の役目なんやなと感じる
歴史を伝えるってことは、ある意味、
未来への贈り物なんやないかな。
もちろん、われらが作るお墓も、
未来に残るし、歴史を伝える。
そんな素晴らしいものだから。
誇りを持って、仕事に取り組んでいけたらよかね!






